ブログ担当 しーな

にゃーとぴあ

遺言

 

最近はシーナにしては珍しく、夢をみることが少なくなりました。
ノンレム睡眠が増えることは睡眠の質に直結することなので、よろこばしい限りです。ルン

そしてシーナとしての最期のあの時間も、だんだんわたしの身体から離れて現実味を帯びないものとなってきました。夢ではないと思うんだけれど、シーナの人生には起こり得るはずがないほどに鮮烈かつ極彩色なもので、やっぱり夢見心地な体験だったのだと思います。
シーナは勝手にあれはシーナの告別式だと意気込んでいたんだよ、最後はみんなわらってくれてうれしかったね

長いこと連れ添った「シーナ」を手放すカウントダウンにはどこまでも無自覚だったから、なんだか当日の怒涛に身体と頭の乖離があって、着いていけなかったよ。故に断片的な記憶にはなっているんだけれども、一瞬のフラッシュでシーナは輝いて、満ちました。それは確かなことです。
たぶんこういうのって青春っていうのかしら、こういうことを可視化することに抵抗があるっていうか、小っ恥ずかしい気持ちもあるんだけれど、シーナはそう感じているよ。

本当にそれは今までシーナをニャートピアで育んでくれたみなさまのお陰に他なりません。心からありがとう。シーナを生きれてシーナは本当にずっとたのしかったよーーーーーーー!

あとニャートピアの愛猫ちゃんたちね、
シーナを見送ってくれた愛猫たちとシーナは各々ばらばらな絆で結ばれていたから、それぞれに感謝と愛情があるのだけれど、こちらで明記することは控え〼。もう少しシーナだけの宝石として愛でることにし〼。
兎に角あの時、愛猫たちに思っていたことは「なぜみんな泣いているのだろうか?」です。

シーナは本当に文面にすると余計なことまで述べてしまうクセがあるの、
たぶん素直な言葉を伝えることが得意ではないから、過剰包装するか湾曲した手段を取ることでなんとかメッセージにしているのだと思う。
そう考えると今回はストレートに言葉を羅列できたと思えるよ、最期だからかな。

ていうかこの文章を読んでくれている方はおそらくシーナの理解者ばかりだろうから余計な言葉は不要だね、
きっとシーナの気持ち伝わってるね、ありがとう

🤍

 

 

このような当然のことを締め括りのパブリックな場で述べたくはなかったのですが、最後に

2019年に生を受けてから今年の7月に至るまでシーナを全うしてきましたが、その生命は夏の終幕とともに消滅いたしました。既に火葬済みです。

なのでわたしは現在はニャートピアの飼い猫ではなく、一般家庭の飼い猫として家族を労っております。
シーナと今のわたしはまったくの別個体です。

それをどうかお忘れなきよう、よろしくお願いいたします。

結論から述べますが、個人(猫)的な事情や情報を詮索することや接触を図ろうとすることは当たり前にルール違反です。

公然のマナーですので、指摘する必要性は今まで感じておりませんでしたが、肩書きを失ったただの猫として述べられることもあると思い、発言しています。

これは「わたしにするな」という限定的な例でありません。更に言えば現在コンセプトカフェ等で働いてくれているすべてのキャストにもいえることなのではないかと思います。
そのキャストの生は条件付かつ限定的です。

再三となりますが、どうか改めての認識および承知をお願いいたします。

 

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました