御機嫌やう、シーナでし。
久し振り、でもないですね。
皆様の最近の娯楽は何ですか?
閉鎖的な今新たな境地を開拓したり、かつてハマっていたものに回帰したりして居るのではないでしょうか。
そういうの楽しいですよね、数年前は「うーん」と思っていた本でも改めて読むと「what‘s ?!何だこのおもしれー本!?!?」となることがよくあります。
逆も然りですが、つまりは詰まらない本って無いんですよねきっと。
自分がその時置かれている状況とか、経験値とか、情緒とか、読み手に依存するものだとシーナ考えています。
はい、何ってシーナの娯楽は相も変わらず本ってことです。
今回は三浦しをん著の「月魚」について勝手な感想を吐露します。
まず、あらすじとしては
『無窮堂』は古書業界では名の知れた老舗。その三代目に当たる真志喜と「せどり屋」と呼ばれるやくざ者の父を持つ太一は幼い頃から兄弟のように育つ。ある夏の午後に起きた事件が二人の関係を変えてしまう…。
といった感じです。
(Google Books参照)
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引用元を選んだのはシーナですが、なんだかこのあらすじには違和感を覚えます。
まあいいでしょう、きっとこのあらすじを書いたひとはこう感じたのだ。多面的で良いではないか。
三浦しをんさんといえば直木賞を受賞した腐女子作家として有名ですが、これを読めばその醍醐味を超味わえます。
「舟を編む」が本屋大賞を受賞し、映画化アニメ化がされましたね、それを読んでより思いましたが彼女はほんっとに腐の民を沸かせる丁度良い匙加減(濃厚過ぎず味気なさ過ぎず)を熟知していらっしゃるのですよね〜〜〜〜〜〜〜〜
直接的表現や描写はないし、これはBL小説だとは決め付けられないものの、その匂わせ方がも〜〜〜〜〜〜秀逸です。
つまり二人の青年を中心に物語が進んでいくのですけれども、この関係がまたいい。
ネタバレは避けたいので抽象的な言葉になってしまいますが、二人の間には確かに渦巻く業があるんですよ。
二人の関係が何に変質しようとも間を隔つものがそこには鎮座していてね、ウェーイ!仲良し!ハッピー!とは素直になり切れないのです。
ひえん!しあわせになってよう!とこちらに思わせてくるこの感じ。堪りませんね。オタクはこういうものに弱いのです。
そして言葉の羅列があまりにも素敵なのがまたどきどきさせられる。
これは「月魚」に限ったことではないのですが、も〜〜〜〜ね!ロマンティシズムの文字化です。
とはいえお砂糖ファンタジーだけで構成された胃もたれ文章ではなくて(こういうのはこういうので好き)、あくまで清廉でストレートに熱さも冷たさも感じる手触りある言葉たちなのです。す。とろけちゃいそうですね。
いや、実際とろけます。
これを読んだひと全員が「この二人デキてやがる…」と思わないところも三浦しをんの匠の技である。(わたしはお熱い仲だと思っているが)
三浦しをんはこういうのマジで上手い。
この物語の二人に限らず自己にも言えることなのですが、恋なのか友情なのかとかBLなのかとか枠に嵌めようとするのってつまんないことですよね、
取捨選択してカテゴライズすることの無意味さを強く感じました。
おおい!匂わせしてんじゃねえよ!
ハア〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!とシーナは物語に弄ばれましたが、この悶々とする感じいいっすよ。たまらん、
わたしに画力が有ったならばこの二人の絡みを直ぐにでも描きたいと思いました。
だって登場人物もいいんだもん、そりゃ色々捗るもんです。(主人公、真志喜のcvは斉藤壮馬でわたしは想像している)
今回は月魚について語りましたが三浦しをんはマジもんの天才なので全部おもろいです。もう全て読んで欲しい。
エッセイではイチローと松井がどっちが受けかなどを話したりしていますが、本当に言葉を羅列する為に生まれてきたひとだとシーナは思っています。
もしも今のシーナみたいにこのご時世にときめき不足のひとはこれでチャージすることを勧めます。一緒に身悶えましょう。
それでは今回はこの辺で失礼いたします。
健やかにご自愛くださいませ、いってらっしゃい〜〜〜〜???
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